日本女の歯を染めたもの 3. ヌルデミミフシ

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 インクタマバチの虫こぶと同等あるいはそれ以上の高濃度でタンニン酸を含有するヌルデミミフシとは、どのような虫こぶなのだろうか?この虫こぶを理解するためにまず、寄主植物・虫こぶ形成者の生態について説明しよう。

3-1. ヌルデ
 ヌルデ(Rhus javanica)は、日本各地に生育するウルシ科ウルシ属の落葉広葉樹である。開けた明るい土地を好むパイオニア植物のため、林縁や川岸、道の脇などでよく見かける。大きいものだと樹高10mほどにまで成長する。ヤマウルシと似ているため見間違えることも多いが、複葉に葉翼があるため見分けることは容易である。ウルシ属ではあるけれども、触ってかぶれることはほとんどない。
 近畿地方では、春4月の始めごろから展葉する。葉は、長径が50cmを越えることもある、葉軸に葉翼を伴った複葉である。雌雄別株で、8月から9月にかけてのちょうど今頃に、円錐状の花穂に白色の小さな花をつける。花にはハナムグリなどの昆虫が多く訪花する。果実の成熟期は10月から11月で、小さな黄色い実がなる。成熟した果実の表面には、白いワックス状の物質を分泌される。これは、リンゴ酸カルシウムで、ヌルデにとっての役割は不明だが、ヌルデの実は多くの鳥に食べられるため、ヌルデの種子散布の戦略に関わるものなのかもしれない。
 ヌルデの漢名は塩膚木・塩麩子(えんふし)という。これは、ヌルデの実の表面に分泌されるリンゴ酸カルシウムは、ナトリウムを含まないものの塩辛い味がするため、塩が不足することが多い山中で塩の代用とされたことに由来する。霊力のある木、魔除けの木として扱われることも多く、護摩木や正月行事に用いられることもある。有名な話として、蘇我氏物部氏の戦いに蘇我方として参加した厩戸皇子、後の聖徳太子が、ヌルデの材で四天王像を彫り頭に飾り、勝利を祈願したエピソードが知られている。

3-2. ヌルデシロアブラムシ
 虫えい形成者のヌルデシロアブラムシ(Schlechtendalia chinensis)には、寄主植物のヌルデのような有名な話はないけれども、この虫の生態は実に驚きに満ちたものである。
 このアブラムシの一年を通しての生活を説明するとき、どの時期から説明するのが一番面白いだろうか、理解しやすいだろうかといつも頭を悩ます。そのくらい、全ての時期にわたってこの虫の生活は独特で、こんな変な虫がいることが不思議に思えて仕方がない。考えたあげく結局いつも、この虫が虫こぶを作りはじめるところから生活史の説明をすることになる。なんと言ってもこの虫の最大の特徴はヌルデミミフシを形成するところにあるからである。
 ゴールデンウィークの頃に、ヌルデの新葉、それも5cm程度に成長したものを見ると、0.5mmほどの小さな黒い点が見つかることがある。もしもルーペを持ち合わせているのならば、あるいは顕微鏡を使える環境にあるのなら持って帰って、拡大して見てほしい。その小さな黒点は、三対の足をもった小さな小さな虫であることがわかるだろう。この虫こそが、ヌルデシロアブラムシの幹母一齢幼虫で、虫こぶ形成の起点となるいきものである。黒色しているのは、背面が黒革化しているからで、ヌルデシロアブラムシの全ステージのなかで黒色をしているのはこの幹母一齢幼虫のみである。幹母は、定着に適した葉・適した場所を探し、良い場所が見つかると固着する。適した葉・適した場所とは、その時点で長さが3~10cmほどに成長した葉の、葉翼の裏である。大きな立派な葉が沢山出ている時期にも関わらず、幹母が選ぶのは展葉した直後の葉である。大きくなりすぎた葉も、展葉していない葉も選ばない。ほとんどの幹母は展葉したての葉の葉翼の裏に腰を下ろすが、うっかりした幹母は葉翼の表や小葉に定着してしまう場合もあるようである。
 定着した幹母を観察し続けると、2・3日で幹母の周りの葉が白色化し盛り上がってくるのがわかるだろう。この盛り上がりはやがてドーム状に幹母を覆い尽くし、初期の虫こぶとなる。一度定着した幹母を無理矢理引きはがし、展葉直後の葉に付けても、虫こぶが形成されることはほとんどない。昨年、葉あたりの虫こぶ密度を人工的に調節するために、100個体以上の幹母を採集し、人工的にヌルデの葉に接種した。ところが、この幹母の中で無事に定着し虫えいを形成したものは20個体に満たなかったので、この実験は失敗してしまったのだけれども、この虫えい形成率の低さは、幹母の持つ虫こぶ形成の開始能力の限界を示すと思われる。つまりおそらく、幹母は、虫こぶ形成を誘導する物質を一定量しか持っておらず、その物質をひとたびヌルデの葉に注入すると再生産することが出来ないのだろう。小さな小さな0.5mmの幹母が、その後10cmもの大きさに成長する虫こぶを作りはじめるチャンスは一回きりなのである。
 虫こぶの形成に成功した幹母一齢幼虫は、そのなかで吸汁し(アブラムシは植物の師管液―光合成産物を植物体内に運搬するーを餌とする)、脱皮を繰り返し、成虫になる。成虫になると単為生殖を開始し、個体が増えるにつれ虫こぶも肥大化する。虫こぶ内部での繁殖は全て単為生殖なので、中の個体は幹母と全く遺伝型を持ったクローンである。一匹の幹母から始まった虫えい内部の生活は、最終的には数千匹の大所帯になるのだけれども、その数千個体が全て同じ遺伝子の組み合わせを持つのである。
 2・3mmの厚さをもつヌルデミミフシの内部は空洞で、アブラムシたちはその壁に取り付いて吸汁し繁殖する。虫こぶは完全な閉鎖系であるため、居住空間を汚さないように、アブラムシは排泄物を白い蝋の形で排出する。また、アブラムシの脱皮殻や死体も白い色をしているため、虫こぶ内部には白い綿のようなほわほわした物体が入っている。この閉鎖空間の中で、アブラムシは産仔と脱皮成長のサイクルを3・4回繰り返し、つまり3・4世代を経て、10月半ば以降に、虫こぶ内部での最終世代を送り出す。虫こぶ内部のアブラムシは翅を持たないが、最終世代の成虫だけは透き通った灰色の翅を持つ。10月後半から11月にかけて、最大直径が10cmほどに成長したヌルデミミフシの数カ所が裂開し、そして、千匹を越える有翅虫がその裂け目から外の世界に飛び立っていく。
 飛び立った有翅虫は、冬を越すためのある特別な生物を目指す。特別な生物とは、湿った場所の岩の上に生える中間宿主であるオオバチョウチンゴケ(Mnium microphyllum?, Mnium vesicatum?, Plagiomnium vesicatum?)で、このコケに移住した有翅虫は産仔し、その幼虫はコケの上で一冬を過ごす。コケの上で成熟した有翅のアブラムシ成虫は、4月の半ば頃にヌルデの幹に移動し、ヌルデの幹の上で有性世代の雄と雌を産む。雄と雌は有性生殖し、有性雌は一個体の雌を産み落とす。この雌幼虫が、新葉に移動し虫こぶ形成を開始する幹母一齢幼虫なのである。
 この驚くべきヌルデシロアブラムシの生活環は、1930年代に朝鮮総督府林業試験場の高木五六氏によって明らかにされた。当時、化学工業の発達に伴い染色助剤・皮なめし剤・医薬としての五倍子タンニン酸の需要が高まり、ヌルデミミフシの安定供給が必要とされていた。ヌルデミミフシを安定的に生産するためには、その虫こぶ形成者であるヌルデシロアブラムシの生活環を知る必要があったがほとんど不明であったため、林業試験場長の命令で高木氏が研究を始めたようである。その結果は、1937年朝鮮総督府林業試験場発行の林業試験場報告第26号に「鹽膚木五倍子の人口増殖の研究」という300ページ弱の大論文として報告されている。当時、アブラムシが越冬する場所、中間宿主については全くわかっておらず、オオバチョウチンゴケで越冬する!ことを明らかにしたことが、高木氏の最大の発見と言えるだろう。このアブラムシがコケで越冬することにふれるたびに、ヌルデミミフシから飛び立った有翅虫を追い林内をさまよう高木氏の姿を想像せずにはいられない。高度を下げてコケに落ち着いたアブラムシを認め、そのコケの中に多くの有翅虫を見つけた高木氏の喜びはどれほどのものだったのだろうか!

3-3. 五倍子
 先に述べたように、ヌルデミミフシを乾燥させたものは、五倍子と呼ばれ、古くから漢方薬や皮なめし剤などとして利用されてきた。中国の本草拾遺(713-741)において百蟲倉として記され、973年に出された開寶本草で五倍子または文蛤として記述されているが、当時は植物の一部として認識されていたようである。1678年に発行された李時珍の本草綱目でようやく、五倍子の生成に虫が関わることが説明されている。日本では、江戸時代の貝原益軒大和本草(1708)、小野蘭山の花彙(1765)等で図付きで記述されている。
 漢方薬としての五倍子の効能は多岐にわたり、下痢止め、痔の治療、止血、解毒、目の充血、歯槽膿漏、やけど、さかさまつげの治療にまで用いられた。これらの効能は、五倍子がその乾重の70%もの濃度で含むタンニン酸の機能によるものである。タンニン酸は、タンパク質と結合し収斂作用を持つので、この反応を利用して病を癒すために用いられたのである。現在でも、漢方薬として使用されるほか、タンニン酸アルブミンなどの西洋医薬の原材料として使われている。また、臨床実験にまでは至っていないものの、黄色ブドウ球菌、連鎖球菌、腸チフス菌、炭疽菌など多様な菌に対する抗菌作用や、インフルエンザA型PR6株ウイルスやHIVウイルスに対する抑制効果が認められている。
 さて、ここまで読まれた方は、ヌルデミミフシ、五倍子が東洋の人々の役に立ってきたことを理解しつつも、西洋でのインクタマバエほどの活用がなされなかったことに歯痒さを覚えているのではないだろうか?東洋ではたしかに、ヌルデミミフシのタンニン酸はインクを作るために用いられなかった。これは、西洋では羊皮紙が使われていたのに対し、東洋で用いられた紙の原料は楮などの植物であり、炭を原料とした墨との相性が良く、書かれた文字や線が長年にわたって色あせることがなかったため、Iron gall inkを発明する必要がなかったためだろう。インクの材料としては用いられなかったものの、Iron gall inkと全く同じ化学反応を利用して、ヌルデミミフシは日本固有の文化の一端を担っていた。インクタマバチの虫こぶは紙を黒く染めたが、ヌルデシロアブラムシの虫こぶは日本女性の歯を黒く染めたーお歯黒の材料として使われたのである。